2013年9月17日火曜日

戦略論からみた中国の政策は自滅的である

 自滅する中国/エドワード・ルトワック (著), 奥山 真司 (翻訳) 

 戦略を勉強するにあたって「地政学」という学問は非常に多くの示唆を与えてくれる。歴史を振り返ると、人間という生き物はかくも変わらないものか、という思いを新たにする。恐怖、希望、同情、共感、好意、傲慢さ、嫉妬など人間の感情はしごく
普遍的なもので、それが故に私たちは往々にして真実を見ることができないのだと思う。

エドワード・ルトワックは戦略は政治よりも強い、という。中国の覇権を求める最近の行動が周辺国に対して脅威を感じさせ、団結させる効果をもたらすことで相対的に中国の力をそいでいるとし、これを彼は戦略の「逆説的論理」と呼ぶ。




この本のユニークなところは孫氏の兵法に始まる長い戦略論の歴史から想定される「戦略に関する中国の習熟度の高さ」というイメージを大きく否定していることだ。

彼らが古典に書かれた戦略の智慧が優れていると頑なに信じ込んでおり、その結果として「中国はいつでも賢い手段によって敵の裏をかくことができる」と思っていることだ。そのために、自国の台頭がもたらす積み上がった反発も回避できるはずだと信じ込んでしまっているのだ。(P107)
そしてその理由として、中国(漢民族)の歴史が実は他者からの侵略に甘んじてきた歴史であったという単純な事実を根拠とする。
漢民族は自分のことを常に「偉大な戦略家である」と思い込んできたが、実際には数が多いわけでも進歩的でもない敵に、常に負かされてきたのだ。このような敵のなかには、前線地域を支配するだけでは満足せずに、漢民族が住むすべての地域も征服したものもある。実際のところ、漢民族による中国全土を支配した期間の合計は、過去一千年で三分の一を僅かに超えるだけだ。(P129)
ルトワックの主張は過去約1000年間の中国王朝のうち、北宗と明を合わせた400年強の期間のことを指しているようだ。
<過去1000年間の中国の王朝>
北宋(960年 - 1127年)127年(漢民族)
南宋(1127年 - 1279年)108年(漢民族):女親族王朝の金(1115年 - 1234年)に華北を奪われ、南遷して淮河以南の地に再興した政権

元(1271年 - 1368年)97年(モンゴル族)
明(1368年 - 1644年)276年(漢民族)
清(1616年 - 1912年)296年(女真族/満州族)

中国の非常に断片的な政治の歴史—しかもそのほとんどは漢民族のものではなく、女真族やモンゴル族、テュルク族のものだ—を見直してみて明確にわかるのは、漢民族のあらゆる種類の文化的業績における優越性の継続に比べれば、その戦略面での能力はまったく釣り合わないということだ。たしかに漢民族は地球上のどの国よりも美味な料理を国士から作り出すことができたし、物質的基盤の上に最も洗練された文化・技術的な体系を作ることもできた。しかし大抵の場合(少なくとも二回以上は)、外的環境を現実的に評価して脅威とチャンスを見いだすことに失敗している。また比較的豊富な資源をまとめつつ、国土や国民、民族自身の安全を確保するための効果的な大戦略を作ることにも失敗したのだ。(P133)
中国の領土に関する主張を、非征服者が征服者によって征服された他の人たちの土地をなぜか現代になって自分たちのものだと主張する、という不思議なロジックに基づいていることを指摘している。
満洲族の支配下の中国は、他の地域と同様に「征服された土地」でしかなかったのだ。ところが現在の中国人の認識では、中国の国境線は清帝国の最盛時のものになっている。その乾隆帝国境線が確定したのは、一七六一年に広大なジュンガル盆地が乾隆帝によって征服された時だった。これは「言い換え」の興味深いケースである。しかし満洲族の兵は、中国国内のあらゆる省に、実質的な占領部隊として駐留・配備されたのだ。そのため、その当時の漢民族たちは、自分たちが帝国の主人公ではなく、征服されていたことをよく知っていた。それなのに現在の漢民族は、常に「満洲族に征服された漢民族以外の土地は自分たちのものだ」と、何のためらいものなく主張するのだ。もしこれが通じるとすれば、インド人はスリランカの領有を主張しても良いということになってしまう。なぜならインドとスリランカのどちらも、英国が支配していたからだ。(P131) 
私は中国の専門家でもないし、地政学を通して戦略を学ぼうとしている市井の日本人にすぎないのでルトワックの主張の是非を判断する能力は持たない。しかし、この本から学べたことの一つは一般的なイメージに惑わされることなく、事実をひとつひとつ積み重ねていくことで到達できる結論の鮮やかさである。彼が中国の歴史について提示する事実はおそらく高校の教科書でも学べることだ。優れた理論は初めてそれに触れた人に既知感を持たせるものだと誰かが言っていたのを思い出した。
 彼らは未開の侵略者たちに何度も繰り返し征服されているのに、こうした信念が現実の中国の歴史から全く損なわれなかったのは驚くべきことだ。この中国の戦略能力への絶対的な自信は、古代中国で国政術や兵法について書かれた書物への計り知れない信頼からきている。(P107)
そして極端な親中派でしられるキッシンジャーについても「無知で俗悪な外国人」として切り捨てている。
キッシンジャー回想録 中国/ヘンリー・A.キッシンジャー
こうした能力の欠如を作り上げているのは「古典から賜った至高の戦略の知恵」という誤った考えである。こうした誤った考えというのは、無知で俗悪な外国人によって強められることもあり、歴史的にもこの考え方はしぶとく生き残っている(脚注でここにキッシンジャーも入ることが指摘されている)。 この古典を持っている漢民族は、二千年の歴史のうちの三分の二の期間を物質的にははるかに遅れた少数の非漢民族に支配されてきたのだ。(P332)
では、なぜこのような勘違いが発生するのだろうか?古代戦略論についてはそれが書かれた時代背景が現在と違うとし、漢民族内(同一文化内)での抗争であったことを上げている。
 中国の「戦国時代/兵法の心理」の「名残り」、もしくは同一文化内の規範を異文化間の紛争に誤って応用することの「弊害」として最初に目につくのは、「国際関係においては無制限にプラグマティズム(実用主義)を使ってもよい」という前提だ。斉、秦、趙、魏、燕などは、今日は友でも明日は敵でありえたのであり、さらに後日に再び友となることもありえたのだ。これは各段階でそれぞれ利益が得られたために、彼らはそのような行動に出たのだ。中国の外交政策は、「外国も自分たちと同じように現実的かつ日和見主義的である」という前提から考えられているのだ。(P112)
ところが異文化間の外交関係は、同一文化の内部における関係とはまったく異なるものだ。なぜならそこには「共通のアイデンティティ」ではなく、「相反する国家的感性」が存在するからだ。そのため、それが形式的なものでないかぎり、あらゆる問題についての国家間の衝突は、恐怖や恨み、そして不信感のような感情を発生させ、関係する国家すべてに必然的に被害を与えることになる。 (P112)

・・・と非常に面白い本だったのだけれど翻訳の日本語がおかしいところが多々あるのが非常に残念。校正をきちんとした人に頼んだらよかったのではないか、と思う。

 自滅する中国/エドワード・ルトワック (著), 奥山 真司 (翻訳) 

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