2013年7月19日金曜日

右翼と左翼の違いって何だろう

トロントの友人に「日本人って中国人と韓国人に嫌われてるんでしょ?」とか「右傾化してるの?」とか聞かれて何と応えるべきか少し迷ってしまったので、このことについて少し考えてみた。

読む哲学事典/田島正樹

< 左翼と右翼はどこで対立しているのか>
左翼と右翼の定義はあるようで曖昧だ。一般的に右翼と認識されるような人たちと、左翼と認識されるような人たちが政策的に同じ事を言っていることもある。彼らの違いが政策ではないとしたら、違いはどこにあるだろうか。田島正樹の「読む哲学事典」を使って考えてみる。


著者はまず、デカルト等の設計主義へのアンチテーゼとして保守主義である、ということの説明をする。そして保守主義が理性ではなく、ある種の情緒的なものを背景として成り立っていることを指摘する。
保守主義の基礎には、歴史的に生成してきた制度や社会秩序は、自然に存在するようなものでも、いつでも容易に達成できるものでもなく、長い時間の試行錯誤と淘汰を経て、かろうじて残されたものとする、秩序の希少性に対する直感と、それを担う人々の責任感や誇りに対する人間的洞察がある。(P204)
しかし、だからこそ、その情緒から作られる論理は普遍性を持たない。
しかし、そうして達成された秩序は、理性の普遍的原理に基づくものではないから、歴史的偶然性を免れず、したがって保守主義的精神は、伝統はなんでもすべて尊重すべしといった一般的定式にまとめることはできないし、他人に説諭・唱導すべき「主義」ともなりえない。それはただ単に、自らが負う特殊な伝統への個人的コミットメントの中に示されるものであり、決して主義や普遍的理念として掲げられるものではない。 (P204) 
では、右翼と左翼はどこで対立しているのか。 
祖国が直面する危機を、その政治的共同体自身の内部の問題として提え、それ自身を、常に潜在的に亀裂や対立を内包するものと見る立場を、左翼と言う。それに対し、祖国そのものは元来分裂を含まぬ統一体であると見なし、それゆえ、祖国の危機はもっぱら外からのもの、外敵によるものと見る立場を、右翼と言う。(P206)
筆者ははっきりとは書いていないが、情緒的なものを背景とする保守主義が、問題は国内でなく国外にあると考える右翼との親和性が高くなるのはわかるような気がする。なぜならば、どちらにも国内については現状を是とする前提があるからだ。かくしてジョージ・バーナード・ショーが言った下記の言葉の信憑性が高まる状況が産まれる。
愛国心とは、自分が生まれたという理由でその国が他より勝っているという信念のことである。        —ジョージ・バーナード・ショー
左翼にしてみれば、問題は国内にあり、その改善を求めて主張・活動をするわけであるが、右翼にとっては、問題は国外にあり国内は一枚岩で保存すべき(保守主義)ものである。つまり両者の差は問題をどのレイヤーで捉えるかというメタ認知の問題である、としてる。

そしてエリック・ホファー はナショナリズムについて次のように言っている。
ある国民の愛国的熱狂は、彼らが享受する自国の福祉や政府の公正さに、必ずしも直接呼応するものではない。ナショナリストがもつプライドは、他のさまざまなプライドと同様、自尊心の代用品になりうる。それゆえ、政府の政策や歴史的事件が、国民一人ひとりの自尊心の形成と維持を困難にするとき、国民全体のナショナリズムが一層熱烈かつ過激になるという逆説が生じる。ファシズムや共産主義の体制下にある民衆が盲目的愛国心を示すのは、彼らが個々の人間として自尊心を得ることができないからである。
韓国の朝鮮日報中央日報を読むとき、それが日本人に向けて書かれたプロパガンダであるということを差し引いても、その著者達の自己肯定感の低さを強く感じる。日本のメディアに対しても感じることがある。
自国の優秀性ばかりを強く主張し、他国に対する批判でその紙面が支配されているようなメディアしか持たない国は、国民がその国において「個々の人間としての自尊心を得ることができていない」のかも知れない。
現実の世界での自分に対する不満を、他国との関係で争うことで解消するようなことに時間を使うのは、なかなか勿体ない人生の使い方だ。

追記:池上さんが右翼と左翼について説明している。(0:50くらい)
 

読む哲学事典/田島正樹

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